初めての方も何度か来て下さった方もこんにちは!このサイトにお越しいただきありがとうございます。シオノミチルです。
今回は自然治療を受けてみてお伝えしたかったことの「まとめ」です。
あればいいと思った制度や、こうなったらいいなといったことを書きました。これからもこの国で生きていくために考えたことです。
この国が変わるには、わたしたちが変わるしかない!(そうなれば自ずと政治も変わる)
理想の医療のあり方
1回目の記事で、病院と治療院は全く異なる医療であることをお伝えしました。
2回目は脱ステした私が普通に生活できるまでになった自然治療を紹介しました。
3回目は、いろんな権威による思い込みや思考停止について書いてみました。
薬や現代医学はどこがふさわしいのでしょうか? それは救急医療です。
一刻を争うのですから、医療機器や強力な薬も命をつなぐことに力を発揮します。
現代医学は救急医療に専念していただきたいと思います。
そして皆保険制度の選択制(入りたい人だけ入る)や混合診療(自由診療と保険診療)を導入し、必要に応じて個人で医療保険に加入します。
保険診療は最初に満額自分で支払い、後から還付されるよう改正します。そうすれば薬害にあう可能性も減ります。
これにより受診する側がこの医療を受けていていいのか真剣に考えるようになります。
保険診療への偏向を改めて、救急医療の予算に回すことで、たらい回しもなくなります。
さらに、人員を司法解剖や行政解剖に充てることで人権が守られる社会になります。
こうした解剖は主に杏林大学(製薬会社が作った大学)で行われています。これを国の責任で全国の国公立大学で行うべきです。
まじめに通うとバカをみる医療
わたしは子供の頃からアトピーで、親と一緒に病院に行きました。
その時、医者から「なんでこんなになるまで放ってたの?」と母は怒鳴られました。
わたしは「ちゃんと通わないとダメなんだ」と思ってしまいました。
わたしが子供の頃なので、約半世紀前になります。医者が威張っていた時代でした。(今もそう?)
それでも初めは「大人になったら治るから」と言われて安心していました。
その後、「アトピーは治らないから薬で一生コントロールしていきましょう。」と診察中に告げられ、ショックでした。
「これって治らないんだ…。でも病院に行けば大丈夫。」と小学生のわたしは思ってしまいました。
通っていた皮膚科は同じ団地内だったので、徒歩や自転車で通える距離でした。慣れてくると自分だけで通うことが多くなっていたのです。
やはり子供が医者にかかるときは、親はできるだけ付き添って下さい。
何を言われてどんな治療をされているのか大人の目から見る必要があります。
学会(権威)>患者
通っていた皮膚科の医師は、学会に出席するためよく休診していました。
途中から「アトピーは治らない」となったのも、学会の方針転換だったのでしょう。
そのまま医者の言う通りに真面目に通った結果がステロイド皮膚症です。
薬は医者が患者から見える診察室の机で、亜鉛化軟膏と調合(院内処方)したものを使っていました。
自分が使っていたのがステロイドだと知ったのは、離脱を始めたときでした。
その後電話で子供の頃から通っていた皮膚科の医師に、ステロイド皮膚症になったと伝えました。
するとステロイドの副作用はよく知っていたというのです。
わたしはその医者から、副作用について説明を受けたことは一度もありませんでした。
患者は知らない保険診療のホンネとタテマエ
さらに衝撃だったことが2つありました。1つは根治療法を受けたときに、先生から「ステロイドは猛毒」と言われたことです。
自然治療の先生からそう告げられ、思わず「なんで知ってて言わないんですか⁈これだけ西洋医学が好き勝手やってて…。他人がどうなろうと知ったこっちゃないってこと?」と詰め寄ってしまいました。
それでも、いつも変わらず明るく施術して下さった先生には感謝だけです。お陰様で離脱して普通に生活できるようになりました。
本当に何も考えず、自分は病気で、薬を使うのは当然と思って生きてきてしまいました。
よく「人のせいにするな」と言われたりしますが、理解できません。特に医療関係者からその言葉を聞くと怒りすら感じます。
医者は国と保険診療に守られ、副作用についてなにも言ってきませんでした。
2つ目は医療関係の本を読んでいた時のことです。元薬剤師会のトップの方が、「薬は使ってはいけない」と本の中で言っていたことです。
その時のわたしの気持ち…
ふ・ざ・け・ん・な
薬剤師を目指す人が最初に教えられるのは、「薬は使ってはいけない」ことだそうです。
「はぁ?」→「わたしは子供の頃から普通に使ってんだけど⁈」→「使っていけないものを人に出すの❓」→ 「それで給料もらうって何⁇」
いーかげんにしろ‼
…となりました。
国民健康保険と介護保険の強制加入の真実
なんで日本って空気ばっかり読んで自由にものが言えないんだろう?
なんで本音とタテマエ使い分けて、ホントのことが知らされないんだろう?
脱退するための手続き
郵便局で脱退する旨を記載した内容証明と保険証を書留で役所宛に返します。
簡単ですよね(^^♪
ステロイドの怖さ
「薬は毒である」とはよく耳にします。「毒」といえば、何を思いつくでしょうか?
よく推理小説やドラマで使われる青酸カリは猛毒ですよね。ほんの少量ですぐに死んでしまいます。
実際に犯罪で使われたトリカブトやサリンなどをイメージする人もいるでしょう。
ステロイドは、こうしたマイナス効果がすぐにわかる毒ではありません。長い年月をかけて徐々に体が蝕まれていく麻薬のような毒です。
麻薬は、ほんの少量で苦痛を取り除いたり、気分が良くなったりします。
使っている人とそうではない人の見分けはつきません。そして長期間使っていると体に深刻な影響がでてきます。
ステロイド破綻の行程
ステロイドも起こる症状は違いますが、麻薬ですからよく似ています。
薬を出す側は言います。 「少しなら大丈夫だから」 「薬でコントロールできる」
そしていつの間にか「冷え」(万病のもと!)が酷くなり、初めに症状があったところから少しづつ広がっていきます。何年もかけて起こります。
医者の権威が強いと「医者の言う通りなら大丈夫」となり、気付けばどっぷり薬漬け。薬の強さも中程度にまで上がっていたりします。
「いつまで薬を使うのかな」 「薬をやめたい」 「ステロイドは不安」と思ったとしても…
⇩
医者:「もともとアトピー体質だからねぇ」 「薬をやめてはいけない」
「副作用の少ない新しい薬が出た」 「薬の塗り方や量を守ればいい」
⇩
どこまでいってもク・ス・リ
この頃になると体も危機感をつのらせてきます。そして異物を排出するべく小規模な好転反応を起こすようになります。
これが対症療法では「アトピーの悪化」とされ、さらに薬で抑え込むことにつながります
また、心も皮膚に何か塗ることにすっかり慣れてしまってます。体も外からステロイドが入ってくるので依存状態です。
薬をやめると、症状を押さえ込んでいた重しが一挙に外され、痒みや痛み、浸出液と落屑などの最大級の好転反応が起こります。
そしてどうしようもなくなり、薬をやめるにやめられない状態となります。
現代医学が副作用OKの理由
なぜこんなことが起こるのでしょうか。それは現代医学が自然治癒力にとって代われるという大前提があるからです。
現代医学はわざと自然治癒力を置き去りにしました。(だから医学部では自然治癒力を教えない)
しかも対症療法なので、症状を抑えて患者さんが気にしなくなれば医療の本分を果たしたことになります。
今は、欧米=石油由来の薬や手術といったイメージですが、一方では修道院に昔から伝えられてきたハーブや野菜などを使った医術や規則正しい生活と断食、心の持ち方による健康管理の方法がありました。
それも石油や石炭などの産業の発展とともにいつしか忘れ去られてしまいます。
そして石油から薬を作り出すことで医療を産業化できるようになりました。こうして医者という職業は富と権威を一気に手にすることができたのです。
副作用の円環で栄える現代医学
石油から作った薬は副作用が酷いのです。
これは石油は長い年月にわたり生き物の死骸が堆積してできたものだからでしょう。(漢方の材料となる生薬も副作用がありますが、石油のように完全に死んだ物質ではないため、副作用も異なります)
でもそんなことはどこ吹く風です。だって副作用(=医現病)に対し更に薬をだせばいいんですから!
ステロイドの副作用で緑内障や白内障になっても、眼科で目薬を処方し手術すればいいのです。
ガンになっても薬物療法や手術を(たとえ治らなくても)行えばいいのです。糖尿や骨粗しょう症になっても同じです。
治癒に至らなくても対処療法なのでOK! 最後は医学の権威で患者を丸め込みます。
だから副作用の説明は義務付けられていないのでしょう。 わたしたちはずっと現代医学(保険診療)の掌で踊らされています。
「患者」は資源
以前、吉野家の関連会社の方のビジネス関係の講義で「田舎から出てきた若い女性をシャブ付けにする…云々」で批判を浴びたことがありました。
不適切ですが本質を突いています。依存させれば向こうからやってくるわけですから簡単です。ステロイド処方と同じ発想のビジネスです。
順調にいくと、ステロイドの副作用がでるまで約20年ほどかかります。
しかし副作用とわかっても薬を使い続ける人が多いのも被害がわかりにくい点です。
他にも、症状が主に皮膚の痒みなので、死ぬ病気ではないという感覚もあるのでしょう。
当然、保険診療医は対症療法としてやってきたことを否定することになるので、断薬の発想はありません。これも被害を分かりにくくしています。
「死ななければいい」という感覚がもたらすもの
生き物が恐れるのは死ぬことです。ですから副作用があっても死ななければいいのです。
例えば事故のニュースが流れてきて、「怪我人に命の別状はない」と聞くと何か安心しますよね。
怪我や病気についても死に至るかどうかで判断してしまうところがあります。
このように「死なないからいいよね」という感覚にステロイド薬はフィットしてしまうのです。
しかし「生き地獄」という言葉があるように、痒みや痛みを抱えて生きていくのは辛いものです。
身近な例では、むち打ち症はその辛さがピンとくるのではないでしょうか。
そして湿疹やアトピーで通院してたのに、いつの間にか他の疾患(副作用=医現病)を伴ってたりします。
原因は年令や体質、季節のせいにされて病院と縁が切れなくなります。
断薬してもリバウンドが辛く、かなりの長期にわたる場合もあります。その間、新薬や漢方、健康食品を彷徨って悩み苦しみます。
医療や健康関連の産業界は、医者がステロイド被害を認めないことで大いに栄えるのです。
医現病→医師や看護師などの医療行為が原因でおこる病気
製薬会社の発想
例えば1mgで何かしらの副作用がでる薬があるとします。
「弱い薬だから」 「短期間しか使ってないから」と言っても、0・1mgなら10回で副作用がでます。0・01mgなら100回です。
使っていれば望ましくない何らかの作用が必ず出てくるのです。時限爆弾のようなもので、いずれ爆発します。
「でも爆発する(=ステロイド薬が効かなくなる)前までなら使ってもいいんじゃない?」
「国のガイドラインで認められてるし。酷い副作用がでる前までなら(ビジネスチャンスだし)いいでしょ」
「ガンや難聴や他の疾患でも使われてるから」…といった発想でしょう!
実際は少しづつ副作用の症状がでてきます。この症状は比較的軽いので、危機感につながらず軽い悩みになりがちです。
気付けば後戻りできなくなっています。結局、薬を出す側は副作用や薬漬けというゴールに辿りつくのを黙認しているのです。
真面目な人ほど健康食品や食事、運動などに手を出して努力します。
結果として効果を得られなかったり、得られたとしても高い商品を使い続けることになりかねません。(結局、儲かるのは企業)
医者と患者の立ち位置
保険診療は現代医学(ロックフェラー医学)で、キリスト教の欧米から取り入れました。
キリスト教社会から、日本に導入すれば予期せぬことが起こります。
欧米は「個」が確立していますが、日本は集団主義で同質性の高い社会です。自分の意見や考えではなく、集団に同化することを求められます。
日本人はもともと権威に弱く、追随する特徴があります。医者も患者も欧米や医学、国の権威を信じ込んでいます。(例:コロナワクチンの被害、ノーベル賞)
伝統的に「お上」に従う国民性で権利意識が低く我慢強いので、訴訟を起こすハードルも高いままです。
国ぐるみで西洋医学を妄信しているため、国民は直接命や健康を搾取される有様です。(国や医者はホンネでは気付いてますが、保身のためタテマエを死守するだけです)
さらに医者はガイドラインなど国の権威で守られているため患者と対等ではありません。
医者の施術はガイドライン通りかですぐ判断するのに、医学の権威に反するものがでてくると、医学界で認められるまでは何もできないという態度は実に不公平です。
患者の権利を守る法律
無いんですよねー!当然、医者を罰する法律もありません。(なんでもやれちゃうじゃん。しかも一度試験に受かればずっと医者でいられる、医者に甘い国!)
全員固定給の公務員化を望みます。
それと今後も皆保険制度を強制するならば、投薬治療に限定しない副作用の救済制度と裁判で患者が拠るべき法律の整備が必要です。
薬の副作用の説明を義務付ける罰則つきの法律も必要です。
副作用があるものを出しておきながら、個人の命や健康を守る法律がないこと自体ありえません。
これは国会議員や審議会などが現代医学の医者ばかりだからです。公平に根治治療などの自然療法系の人材も登用すべきです。
これらが実現しないなら皆保険制度は選択制か廃止にすべきです。
日本社会について
ステロイド離脱を通じて感じるのは、少数者が当然のように相手にされないことです。少数者が相手にされないのだから個人なんて完全に後回し。
沖縄の基地問題や、数々の薬害、優生保護法やハンセン病、ジャニーズ等にみる年齢や性別を問わない性加害問題があります。
これらの流れをみていると、人権に疎い社会なんだと痛感します。
わたしはステロイド離脱の最中から少しづつ様々なところに相談してきました。あまり相手にされないのは治っていないからだと思っていました。
ところが治っても変わることなく相手にされなかったのです。
そこで気づきました。治っても治らなくても関係ないということに!
この国は正しいことや事実に関係なく、数が多くなければ意見が通らない集団主義です。
皆保険制度を辞めてもステロイドから回復しても国はガン無視。
弁護士にも「救急車は皆保険制度で支えられているのにどうするんだ」と言われて、まともに相手にされません。
民主主義って、少数者を尊重するんでしょ? 少数者の意見を尊重した制度で多数派と折り合いをつけるべきではないでしょうか。
しかしそこは「与えられた民主主義」でしかないようで、国は現代医学一辺倒の皆保険制度維持の無責任を貫いています。(無責任がこの国のお家芸)
日本人の思想
「八百万の神」にあるように、万物に神が宿るといった考え方です。主神は太陽神です。
人間はいろんな神さまを信仰してそれらと仲良く暮らしていくイメージです。
自然と共に生きていく感覚で理屈はないので、神道に理屈がないのも頷けます。
日本人は優しくて、勤勉でマナーも良いのはこうした世界観を持っているためでしょう。
そんな人たちが集まって国ができると、どうなるのでしょうか。もともと理屈がない国なので、力のある者に素直に従っていきます。
「お上」の権威や「天下り」の表現にあるように、権威に従順で素直に従います。
少数の意見や集団は「村八分」にされて極端に一致することを求められます。
周りの雰囲気を察して合わせることが良いこととされ、争いが少なく平和に見えます。
しかし押し殺した本音は、「ホンネとタテマエ」という独特の傾向を生みだします。
これらは異民族の侵略を受けた経験が少ない同質性の高い「島」という環境によるものでしょう。
天皇と律令
天皇は6世紀~7世紀に国の統治体制として確立されました。そして中国の「律令」という法制度を導入しました。
「律令格式」と呼ばれる国の公の秩序を規律する公法のことです。それぞれ見ていきましょう。
律 | 今日の刑法のこと(時代や地域を越えて適用される基本法 のこと。中国・東洋思想では「刑」こそが秩序の根本であり 法の精神、道徳の規範、倫理の基礎と考えられている)。 |
令 | 今日の行政法のこと(行政組織を定めたもの。時代や地域に より異なることが想定されている) |
各 | 律や令の改正法 |
式 | 律や令を施行するための細則のこと |
これを見ると刑法が統治の根本にあることがわかります。東洋では、法は「統治の手段」と捉えられました。
民を強いて従わせるための道具と考えられてきたのです。その特徴は次のようになります。
律(刑法)の特徴
秘密法典 | 法を予め公示せず秘密にする |
形式主義 | 法の解釈を許さず、文字通りに把握する |
厳格適用 | 刑を規定通り厳格に適用する |
秘密法典は民を統治するのに都合がいいのです。それは威嚇したり、怯えを起こさせるという考えもあります。
しかしその本質は「法の支配」ではなく、「人の支配」が考えの基本にあります。
法は統治の手段で、民に求めるのは法への忠誠ではなく、法を道具として利用する統治者への忠誠です。
よって法は統治者の命令だから公示したり予め定めておく必要もない、となります。
そして形式主義と厳格適用は民を威嚇して従わせるためです。日本でもその傾向が強く、「法」は怖いものとして日本人は法律を嫌うのです。
法律は知らなくてもいい、法律などいらないと思ってる人もいます。それほど律令が日本人の精神にまで浸透しているのです。
西欧法との違い
西欧は私法(民法)を中心としたローマ法がもとになっています。「法は権利の体系」であり「契約」を社会の中心として考えてきました。
西欧社会なら権利の体系ですから、法律を知る必要があるので、知ろうと努力します。東洋とはかなり違いますよね。
東洋の「統治の手段」という考え方で法律を学ぶのは、統治の側に立つ人です。統治される側の人が法律嫌いになるのは当然でしょう。
日本の場合は、ゲームを始めて何か不都合が起こった時点でルールを決めます。(⇒律令の反映)
これに対し、西欧社会ではまずルールを決めてからゲームを始める点にも違いが表れています。
さらに西欧社会では、国王も法の下にあるので、法を守ることは当然です。
しかし東洋の律令は、民を統治する道具として皇帝が一方的、絶対的な命令として定めたものです。よって皇帝は守らなくても良いとされます。
これを日本に当てはめてみましょう。
すると、「すべての法は天皇が民を強いて統治するためのものなので、天皇には当然及ばない」となります。(天皇制の特質)
例:大日本帝国憲法の規定(第三条)
「天皇ハ神聖ニシテ侵スベカラズ」⇒天皇が神であると言いたいのではなく、天皇には法が及ばないことを宣明したもの
日本の「律令」の特徴
日本は基本理念の「律」(=刑法)ではなく、国家体制の整備に役立つ「令」(=行政法)を採り入れるのが目的でした。
これが「和魂漢才」という言葉に表れています。
明治期に西洋法を導入した時や敗戦後のアメリカ法を導入した時も同じで、基本理念を拒絶しています。(和魂米才として基本的な理念より実効的なものを真似るのが日本の特徴)
中国の皇帝と天皇の違い
中国の律令の導入(継受)の際に根本的に大きく変えた点です。
中国の皇帝 | ・「天子」と呼ばれるのは天の意思を具現するものという意味 (文字通り天の子になるわけではない) ・天命(天の命令)を受け天子(天の子)として、天の威光を帯びて民を統治する者 ・その根拠は天命なので、地位の相続や世襲は無し ・天命は皇帝としての「徳」を判断基準としているので統治の徳がなくなればその場から退けられ、新皇帝が即位することになる⇒「天命が変わった」という意味で「革命」と呼ぶ ・この「革命思想」が中国の皇帝の際立った特徴 |
天皇 | ・中国の「革命思想」を嫌って廃止。天命を否定したので、地位は絶対に安泰⇒天命無視なので天皇は天以上の存在になる(中国の皇帝との大きな違い) ・天皇の在位の根拠は「血統」⇒天孫(天照大神)の直系血族に限るとした ・「血統」を根拠とすることで、天皇の地位は他人に奪われることのない万世不易のものとなった ・国の理念よりも自分たちの地位の安泰を計った ・天皇が天皇であるのは、天孫ニニギノミコトの子孫である神武天皇の子孫であるということ |
天皇神話について
建国記念の日は神武天皇が天皇に就いた紀元前660年2月11日を根拠に制定されています。では紀元前660年は具体的にどのような年だったのでしょうか?
- 中東⇒ゾロアスター(拝火教の開祖)の生まれた年
- ローマ建国の92年後
- ギリシャで第一回オリンピックが開かれた116年後
- 旧約聖書のダビデ王朝の344年後
- 周王朝成立の367年後
- バビロニア王国の1170年後
- エジプト第一王朝の2190年後
- 釈迦の生まれる94年前。孔子の生まれる111年前
出典:日本宣教と天皇制

これらは歴史学や考古学上検証されて公に認められてますからね。
ホントにそれまで神々が日本を治めてた⁉
天皇制と神社
明治以降の近代天皇制のことで100年余りの歴史しかありません。しかし教化教育が徹底していたことにより浸透しています。
この天皇制国家統治機構と共に整備されてきたのが官僚制です。
今でこそ伊勢神宮は天皇と直結する天皇家の神宮というイメージがあります。
じつは天皇と神社の結びつきは明治と共に始まりました。
明治2年に明治天皇が、天皇としては史上初めて伊勢神宮を参拝したとされています。
伊勢神宮は江戸時代に各地で積極的な布教活動を展開しました。
その結果、全国規模で民衆の信仰を集めてお伊勢参りが民衆の間でブームとなりました。
お参りをする信仰集団の「伊勢講」が生まれるほどだったのです。
これにより明治以降、全国の神社の頂点に立つ特別な神社として位置づけられました。
その一方で明治天皇の伊勢参宮以来、突然民衆の信仰を集める神宮から「キリスト教に対抗する神社」として上から強権的に神宮改革が行われることになりました。(総理大臣が正月に伊勢神宮参拝を行う意味は大きい)
天皇という存在
貴族や武家の台頭で律令は崩されます。けれども天皇と律令は宮中でのみ生き続け、廃棄されることはありませんでした。
貴族も天皇を意識していましたし、武家も形式的に天皇の臣下を表明していました。 (例:徳川家康は「(天皇の)勅命による征夷大将軍」を名乗った)
貴族も武家(幕府)も天皇勢力を滅ぼすこともできたのにそうはしませんでした。形だけ律令の枠を利用したのです。
この姿勢が今日まで続くホンネとタテマエのこの国の伝統的な無責任(日本人の特徴)政治の表れです。
島国なので、異民族の脅威に晒される危険が少ないため象徴としてそのまま利用したほうがラクという判断になったのが一因でしょう。(大陸ならとっくに滅ぼされてます)
歴史的に天皇が直接政治を行ったことはありますが、直接政治にかかわる「親政」は限られています。
このことから「存在しているだけでいい」というのが正解のようです。
天皇に求められるのは知恵や決断力、宗教的な力といった能力ではありません。
「そこにいる」ことが重要であり根本ということです。(⇒欧米の君主制や中国皇帝、エジプト王朝と根本的に異なる点)これが神国・皇国思想を支えているものです。
もともと象徴だったということです。普通は国旗が国や国民の象徴とされますが、日本では天皇ということです。
西欧法と天皇
徳川慶喜の大政奉還を受けて明治政府は列強諸国との治外法権などの不平等条約改定のため西欧法を輸入します。
日本には権利の体系や法思想はありませんでした。(すべてお上の「御威光」)
そのため、交渉するには「ウチにもちゃんとした法律がありますよ」と示さなければならなかったのです。
伊藤博文は西欧法の基礎にキリスト教があることを見抜いていました。
キリスト教がなければ法律そのものが成り立たないことにも気付いていました。
しかし律令を導入した時と同じように、本質(キリスト教)は拒否したのです。そして法律という体裁だけ採り入れました。
中身は神道とキリスト教を混ぜ合わせた中途半端なものです。これらが近代の議会や学校、軍隊、経済等の社会制度に適用されていきました。
ここにも外面さえ整えば内面は(どうでも)いいというホンネとタテマエの精神が現れています。
天皇制からみた日本の特徴
こうして見てくると、日本は外から取り入れたものの本質は受け付けず、実効的な部分のみを活用して物質的に繁栄してきたことがわかります。
この国のオリジナルの部分は「天皇」であり、それをなんとか守るために支配層は創意工夫してきたと言えます。
しかし、中身がキリスト教ではないので本来の意図した効果を十分に発揮できません。
そもそも東洋の集団主義に中国の律令を採り入れた天皇制社会に、今度は西欧法を導入したのです。無茶苦茶です。
キリスト教は個人の視点から物事を見る弱者の宗教なので、真逆の視点を持つ思想です。
つぎはぎだらけでも良いとこどりしたかったというところでしょうか。(これも欧米列強と肩を並べるため)
良くいえば要領がいい、悪く言えば適当な国です。
この集団主義と個人主義の混合の弊害は思想の一貫性がないため国全体に迷いを生じさせます。
天皇の戦争責任を問う声はついに挙がりませんでした。
それは、天皇を「神」や「現人神」とする政策や、軍人勅諭、教育勅語により着実に人心に刻まれて日本精神とした洗脳の結果です。
それほど根深いのです。
その結果天皇制は生き残りました。そして形だけの中途半端な民主主義の影響は今のわたしたちに重くのしかかっています。
天皇制の弊害
「えー!そんなのある?」と思われる人も多いと思います。
優しそうだし、わたしたちに何か害があるなんて思えない…という具合になかなか気付けないので幾つか見ていきましょう。
- 天皇は国の象徴なんだから敬うのがあたりまえ これが東洋の集団主義の発想。律令により国民に根付かせた支配者に従順な者の感覚
- 国旗・国歌法の制定により、強制ではないのに「法律」というだけで強制が始まっている。 これも集団主義の表れであり良心の自由の欠落。
- 西欧法ならば国旗・国歌とすることと儀式で用いることは別のこと。 「口パクでいい」とも言われるが、心が伴わない日本のホンネとタテマエの世界。キリスト教では心から敬って従うときに真の力が発揮される。(自由意志の尊重)
- 過労死、薬害、政権与党による閣議決定と数々の強行採決による政権運営 東洋では国の統治は国民を強制して服従させること。 日本社会は古代から「多衆の儀」が重視されてきた。少数意見を切り捨て反対者抹殺の上に成り立つ多数決。 結果として個人の判断を排除する社会構造が残っている。 聖書は「多数決」ではなく、少数の中に真理を観ている。(個人の意思を基本として、そこに全能の神の働きを見る)
- あらゆる差別、性犯罪、夫婦別姓と戸籍、優生保護法やハンセン病の問題 報道などで天皇の姿を見ると、自然に自分よりも「偉い人」と捉えてしまう。 また、天皇の後からついていく皇后の姿を繰り返し見せることで、人には偉い人とそうではない人がいる、女は男に従うものというイメージが刷り込まれる。 人には序列があり、差別があっても仕方がないという思想に導かれる。 まともな信仰があればそれが防波堤になるが、ない場合はこの考え方がいつしか刷り込まれ常識となってしまう。
差別と天皇制
女性差別と共に根深い差別に部落差別があります。中世から近世にかけて穢多・非人(えた・ひにん)といった賤民身分が存在しました。
特に江戸時代には体制の強化・維持のために「宗門改め」により仏壇と檀家制度を利用して宗教的自由を監視するシステムを作り、それまであった偏見等を利用して被差別部落の身分制度の固定・強化が図られました。
武士階級の幕府は信仰の自由のためのキリシタン民衆の反攻に手を焼きました。そこで武士の力による支配を確立するため鎖国をしました。
さらに刀狩りにより反抗の自由を奪い、武士階級による切り捨てごめんの「刀」による恐怖政治の体制を築いたのです。
そしてこの社会秩序のために天皇を対極の聖なる不可侵のものに祀り上げたのです。これは人間の価値の格差による秩序を社会に確立しました。
つまり個人の自由に対抗する価値体系によって集団的に動く社会を育成することになったのです。
わたしたちの心を支配しがちな無責任な集団志向はこのような歴史的背景があります。
日本人の「和」の中にある差別の構造は、多数の一致や均一性からくる和が「平和の和」ではないことを示しています。
天皇制と向き合う
わたしたちは報道によって、特定の思想や信条が歴史や伝統の美名のもとに何か「よいもの」として自然に受け入れるよう促されています。
この洗脳の結果、皇室の生活費を無批判に受け入れることにもなっています。
個人の尊重は本物の宗教から来る
日本は戦争に負けて民主主義国家に渋々なりました。民主主義はキリスト教からきています。
ところが日本では、体裁だけ整えた民主主義の中身に(異質なものを許さず同化をよしとする)天皇教が入っています。
天皇制の集団主義やそれが昂じた全体主義からは逆立ちしても「個」の発想はでてきません。個人は国や数の力によって封じられるのです。
これが天皇制の慢性毒です。慢性なのでなかなか気付きません。
女性差別や男性との格差、コロナワクチンなどの諸問題も「個」の発想(=キリスト教)を頑なに拒んできた結果ではないでしょうか。
「欧米のようになったら困る」とはよく耳にします。もともと日本は他国のものを自国に合うよう改良して取り入れることに長けています。
仏教と同じようにキリスト教も受け入れることができるはずです。
それにより日本の自然や繊細な手仕事、育まれてきた知恵が失われることはありません。
主役は人であり、文化や習俗はわたしたちの生活や信条を映しだし人々が作り上げていくものだからです。
日本のやり残した宿題
天皇の戦争責任を明らかにして国家神道とともに天皇制を廃止するべきでした。
そうすれば思想や良心の自由に神経を尖らせたり、9条と自衛隊のことで詭弁を弄することもなかったはずです。
日本は島国で資源もありません。危険を冒してまで侵略することをためらうほどの国です。お蔭で天皇制が生き残ることができました。
さらに法律や制度の根本思想がつぎはぎだらけで中途半端。しかも裁かれるべき者が裁かれていないので無責任が蔓延しています。
戦中の貧しさの反動から、持ち前の集団主義で経済だけは伸びました。
しかし理屈とけじめと論理に欠けているため次のステップに進めません。これがこの国が停滞している理由ではないでしょうか。
なすべきことがなされていないのに、憲法や教育基本法の改正、首相の神の国発言や靖国参拝など、経済が振るわないなか少しづつ着実にまた国家主義的ファシズムに戻っているよう思います。
天皇の政治利用と宗教行事
今も昔も国体秩序を目指す者の考えは変わりません。教育政策から国家神道を無宗教(道徳)として浸透させます。
そして国民儀礼を徹底させて最後に宗教団体を法的に規制するというやり方です。
この国が生まれ変わる第一歩は国民の意思で天皇制を廃止し、その重しから解放されることです。
思想と良心の自由を盤石のものとして、それぞれが信じるものを自由に選べることで未来が開けます。
天皇が変わったときの即位の儀式と大嘗祭の意味
天皇が国民に代わり、天皇家の祖先である天照大神に祈り、祭りを行う。
それは天照の顕現者としてこの国を統治する権威の座に就くということ。
天皇自身が自らの基本的任務は歴史的に国家的祭司であるとの自覚を持っている⇒国家神道は危険な宗教!
政教一致は宗教の良心が抹殺され宗教の名のもとに数々の不幸と損害をもたらしてきた。
(例:ローマ帝国による迫害、十字軍、国家神道による15年戦争)
実現すべき制度
天皇制と国家神道が廃止となれば、天皇は基本的人権と信仰の自由を与えられます。
わたしたちと同じように自由に生活できす。そうなれば、この国を覆う男性優位の封建的な空気を変えることになります。
女性が生きやすい社会の第一歩となるでしょう。自由な空気で発言し、好きな思想で生き生きと生活できるようになります。
差別や人権侵害に真剣に対応する社会になれるはずです。人が活性化すれば社会全体が活性化します。
それを確固たるものにするため、国から独立した人権監視機関が必要です。
冤罪や性加害、差別、薬害を含めた人権問題の対応が改善するはずです。
自分の人生でぶつかる理不尽な生きづらさを突破するために必要です。
しかし国際社会からの再三の設置勧告を受けながらも、日本政府は国家人権機関は不要として応じていません。
死刑の廃止、女性やLGBTQへの差別解消、ジェンダー平等、個人通報制度などの批准が2023年の審査で勧告の上位に入っています。
これが設置となれば、冤罪やあらゆる性加害問題、過労死、薬害も含めて少数者の権利が守られることにつながります。
誰もが人権守られる安心して生きられる社会が実現するでしょう。
たとえ自分が少数者側となっても、政治や社会を変える力になるはずです。
個人通報制度
これは人権侵害を受けた個人が、その国で利用できる救済措置を尽くした後であれば、誰でも各人権条約の条約機関に直接訴えることができます。
国際的な場で自身が受けた人権侵害の救済を求めることができる制度です。
導入した諸外国で人権状況が大きく改善されていることが実証済みです。(個別の通報事例について当該規約委員会からの勧告で法制度が改正されることも少なくない)
しかし日本は自由権規約に付帯する第一議定書に批准していないので個人通報制度は行われていません。
日本の裁判所はその判断が条約機関から批判されることはないのです。そのため国際人権条約に対する理解が不十分となっています。
その結果、法律よりも優位にある国際人権条約が裁判実務において適用されず、国内法の解釈においても判断基準として採用されていない事態となっています。(ガラパゴス化状態)
自由権規約
代表的な国際人権条約として自由権規約は、憲法よりも補償範囲が上回っています。
例えば憲法上の権利は「公共の福祉」により制約を受けます。しかし自由権規約にはそれがありません。
日本は自由権規約は批准しているので、定期的に人権状況の報告書を提出しています。
その審査の度に「公共の福祉」で人権を制限してはならないと指摘を受けています。
自由権規約の締約国は規約上の権利を尊重する義務があります。具体的には、規約上の権利に干渉したり侵害してはならないということです。
また規約上の権利を確保する義務も負います。
それは規約の定める権利の享有と他者による人権侵害に対する防止とを積極的に推進することです。個人の権利の享有を確保する責務も負います。
さらに自由権規約委員会は、締約国は私人や私的団体による規約上の権利侵害であってもこれを防止、補償等をなすべき積極的義務を負っていると解釈しています。

いいなー! この制度、批准してよ。純粋に国民のための制度じゃん。
憲法には「尊重」する義務はあっても「確保」する義務はありません。
自由権規約に付帯する第一議定書を批准すれば、憲法でカバーできない部分の救済が可能となります。わたしたちの人権が守られることにつながります。
世界では既に約150ヶ国で、何らかの個人通報制度を導入しています。G7で導入していないのは日本だけです。
2012年に人権委員会設置法案が閣議決定され、国会に提出されました。
ところが衆議院が解散となり廃案となってしまいました。ぜひ再度の国会提出で実現したい制度です。
まとめ
治る医療の実現のためには、皆保険制度を選択制(入りたい人だけ入る)にすべきです。
会計は全額支払った後に還付される仕組みを導入し、薬の副作用の説明を義務化します。現代医学は救急に注力します。
それから全国の国公立大学で司法解剖や行政解剖を国の責任で実施するべきです。これで人権が守られる社会が実現します。
さらに国の審議会等で現代医学と根治療法の専門家を登用すべきです。これで脱薬漬・検査漬の医療行政の実現を図ります。
また、ガイドラインと国に守られている医者と対等の立場を確保する必要があります。
それには裁判で患者が拠るべき新たな法律と医者を罰する法律が必要です。
これにより患者は裁判で医者と対等に争うことが可能となります。これで自分の人生と財産を守ることができます。
他にも現行の入院して投薬治療を受けた人のみ対象の副作用救済制度に、根治療法で治った人も救済対象に加えます。
保険診療は薬と検査が医療機関の収入源です。副作用に対しても投薬と検査を実施できてしまいます。
そのため医者も製薬会社も副作用を黙認してきています。
治らず、疲弊して命を削るのは患者です。この副作用ありきの薬と検査で栄える医療業界を支えるのが保険診療です。
子供が病院等にかかる場合は必ず大人が付き添ってください。
日本社会について
誰でも生きていれば少数者の立場になることがあります。その時、日本社会では驚くような対応を受けることがあります。
日本社会の根底にあるのは万物に神が宿る理屈のない素直な「八百万やおよろずの神」の思想です。
「お上」の権威をそのまま受け入れる国民性に窺えます。
この神道の一つが天皇(皇室神道)です。天皇は中国から律令格式を導入しました。
日本の律令は基本理念の「律」は拒否して支配に実効性のある「令」(=行政法)を採り入れることが目的でした。
これは明治政府が不平等条約改定のため西欧法を導入したときに基本理念のキリスト教の代わりに皇室を入れたことにも共通する日本のやり方です。
そして100年余りの歴史しかない近代天皇制による統治機構と共に官僚制を整備し、伊勢神宮を全国の神社の筆頭に据えました。
国家神道を強化することでキリスト教に対抗しようとしたのです。
日本の統治機構は律令の影響と西欧法が合わさったもので構成されています。
日本の民主主義は、集団主義が民主主義の体裁を装っているのが特徴です。もともとの集団主義に相いれない個人主義の制度を導入したのです。
律令の影響と天皇の特徴
「律令」は貴族や武家が政治を行った時代でも、宮中で生き続けていました。
中国の律令格式では、法は「統治の手段」として法を道具として使う統治者(人)への忠誠を民に求めます。
そのため統治者は法に服することはありません。この影響を受けて日本人は自然と法嫌いとなりました。
西欧法では統治者も法の下にあるので、統治者も法を守るのは当然のことです。西欧では法を知る必要があるため知ろうと努力します。
他にも天皇と中国の皇帝とは大きな違いがあります。
皇帝は「徳」を判断基準に天命で即位し、「徳」がくなれば退位します(革命思想)。相続や世襲はありません。
一方、天皇は革命思想を嫌って(天命無視)在位の根拠を血統としました。
これは中国皇帝の存在が能力を基準としているのに対し、天皇は「存在」だけが重要ということです。
もとから天皇は、特に能力を必要としない存在(象徴天皇)です。
社会全体に及ぶ天皇制の封建的影響力
日本は外から取り入れたものを実効性のあるものにして利用することに長けています。
加えて目標が定まれば一丸となって達成する能力は日本の強みです。
一方、島国で外からの脅威に晒された経験が少なく、同質性の高い社会が特徴です。
多数決で少数意見を抹殺(異議を唱えると身が危うくなるから賛同)することで保つ「和」と男性優位の天皇という権威が持つ様々な弊害が今日の社会問題に影響を与えています。
- あらゆる差別、性的虐待、過労死、いじめ問題の対応、薬害などの人権問題
- 夫婦別姓と戸籍、男女の賃金や社会的地位の格差
- 与党の閣議決定と強行採決の連発、裏金問題
- 国から独立した人権監視機関の設置と個人通報制度が実現していない問題
とりあえずこのくらいでとどめておこうと思います。
個人が尊重される社会になるために必要な制度
理屈のない集団主義と男性優位の価値観の体現者の存在により、わたしたちは無意識に少数意見を意に介さず、これらの問題の解決を長引かせています。
これは天皇の戦争責任を問うことなく経済に邁進してきたことの結果なのです。
この問題にけじめをつけなければ、再び同じ場所に連れ戻されて向き合わされます。次のステップに進むことはできません。
天皇制が体現する価値観は、わたしたちを時代を越えて根深く洗脳してきています。
島国である日本は、外部を遮断することで防壁を築くことができます。しかしそれは同時に、井の中の蛙となる可能性を併せ持っています。
特に❹は、この国に根深く浸透している封建的な空気に一石を投じることができる制度です。
わたしたちの民意で、この制度の導入と少数意見も尊重される民主的な社会を実現しましょう!
尚、天皇制に関しては「日本宣教と天皇制」いのちのことば社 を参考にしました。ここまでお読み頂きありがとうございました。
次回からは「ステロイド離脱」について何回かに分けてまとめていきます。
そんなわけで令和5年度から国保を不払いしてます。約1年ほど督促状が来ていましたが、パッタリこなくなりました。
わたしの住む自治体では「無保険者健康診査」なるものができたようです。
対象者に受診券が送られるとのことでしたが届いていません。(わたしは対象外のようです)