こんにちは!シオノミチルです。こちらのサイトにお越しいただきありがとうございます。今回からステロイド離脱について何回かに分けて書いていきます。わたしの経験を簡単にまとめてみました。
御存じの方も多いと思いますが、断薬によるステロイド離脱は大変です。治るまでに辿る道筋は同じだと思いますが、見て下さった方々の参考になれば幸いです。
アトピー性皮膚炎(幼少期から学生時代)
1歳半の頃にお尻に赤い発疹が出て、アトピー性皮膚炎と診断されたそうです。薬は院内処方されたものを使っていて、夜泣きはなかったそうです。皮膚科には親に連れられていきました。
覚えているのは「大人になれば治るから」と医者に言われたことです。それと「なんでこんなになるまで放っておいたの?!」と怒鳴られる母の姿です。(他の患者さんも叱りつけていたそうです)
その後、「アトピーは治らないから薬で一生コントロールしていきましょう。」と言われたのです。子供ながらにショックでしたが、「病院に通っていれば大丈夫」と思ってしまいました。
毎日お風呂あがりに薬を塗っていました。指の割れた部分にはガーゼを切ってテープで巻いた状態で就寝。約2週間ごとに通院し続けました。
一時的に症状が良くはなりましたが治りませんでした。次第に薬が無くなって症状に我慢できなくなったら通う、という形になっていきました。
その他の症状
毛穴が塞がっている毛孔性乾癬と言われる(ブツブツがある)状態もあったので半袖が嫌でした。これも大人になれば治ると言われましたが、二十歳になっても変わりませんでした。
酷い鼻づまりで苦しくて眠れず、アレルギー性鼻炎と診断されました。喘息の気があるとして吸入器を使ったこともありました。(食物アレルギーは無し)
今も憶えているのは夏のある日、近所の友達と遊んでいたときのことです。その子の横顔を見ると流れるくらい汗をかいていました。
それをマンガにみたいで羨ましい、と思いました。わたしは流れるくらい汗をかくことがなかったからです。これは薬を使っていると出てくる特徴です。
学生時代
皮膚科が近所だったので、小学生になるとアトピーの弟と一緒に通いました。2~3週間に1度、薬が無くなると行くという形でした。
当時は近くに皮膚科はそこだけで、いつも混んでいました。3時間待ちなんて当たり前でした。
(「学会出席のため休診」の張り紙があり、行ったら休診なんてこともありました)
当時は周辺にまだ自然が残っていました。蛇やカエルを見つけたりして診察の順番を待っていた思い出があります。
小学生の頃は、首や肘の内側、膝裏、背中、手指などに症状がありました。夜中に痒みで目が覚めてしまうことも度々でした。
夏は汗で痒みが増してしまい、いくら掻いても治まりませんでした。そのうち汁やヒリヒリした痛みが出てきて憂鬱でした。
冬になると両手指の関節が割れて出血し、痛みでうまく手が使えなくなりました。指をガーゼと絆創膏でぐるぐる巻きにしていました。
友人からは「どうしたの?」と驚かれたりしました。指が曲げられず、文字が書きづらかった思い出があります。
先生がわたしの指を見て、掃除当番の雑巾がけを免除してくれたこともありました。他の人に気を使ってしまい、雑巾がけをしないわけにはいきませんでした。
雑巾を絞ると、指に巻いたものが水が浸み込み貼りついてしまいます。気持ち悪いので、外していつも捨てていました。
指には痒い水泡もたくさん出ました。安全ピンで穴をあけて中の水分を出して拭き取る作業をよくやってました。この時期が最もアトピーが酷い時期でした。
小、中とバスケをやっていて、指がすぐに割れてしまいました。度々ボールに血が付いてしまうので気を使いました。
薬がなくなると、我慢できないくらい手荒れが酷くなりました。すると薬を貰うためにまた皮膚科に行きます。こんな感じで皮膚科と縁が切れることはありませんでした。
就職活動時も顔や唇がカサついていました。しかし子供の頃からそんな状態に慣れていたので、あまり気にしなくなっていました。
副作用
真菌症、とびひ、いぼ、近視などです。近視は小学生の頃に急速に進みました。
一緒に通院していた兄弟も手に大きなイボがいくつかできました。彼は通院が面倒なのか、通院しなくなり仮性近視から回復しました。
アトピーが良くならないため、大学病院や他の病院に行ってみたこともありました。食物アレルギーはありませんでしたが、母が健康のためにと生協に加入しました。
ドクダミのお風呂も試しましたが、目立った効果はありませんでした。(薬を使い続けていたため、効果が出なかったようです)
アトピーの悪化(社会人)
生まれて初めての8時間労働と環境の変化から、3ヶ月ほどで顔が荒れてきました。
最初はカサカサでしたが、次第に痒みが増してきて真っ赤になりました。頬骨のあたりから黄色の膿が出てきたので驚きました。
顔に出たのは初めてなので困りました。かかりつけの皮膚科ではなく、平日7時まで診ている他の皮膚科に行くことにしました。
医師からは強いステロイド(リンデロン)で抑えて、徐々に弱い薬に変えていきましょう、と言われました。(この時点で初めてステロイドを使い始めたというのがわたしの認識でした)
1~2週間ごとに通って、顔の症状は一月ほどで収まり始めました。今度は蚊に刺されたような大きな蕁麻疹が全身の至る所に出てきました。
顔や首にも出て、我慢できないほどの痒みでした。再度通院して飲み薬と軟膏を処方されました。
約3ヶ月ほどで普通に仕事もできるようになりました。もともと酷かった右手は一旦は良くなったものの、薬を止めるとすぐに荒れてきました。
それでも酷くならない限りは面倒なので、すぐには通院したくない気持ちがありました。(結局、薬を出されるだけだから)
新たな変化としては食後に寒気を感じるようになったことでした。原因がわからず漠然とした不安を感じていました。
脱ステロイドの医師との出会い
社会人なって初めてアトピーが悪化してから3年後、実家を出て一人暮らしを始めました。
神奈川に引っ越して就職しました。正社員で残業もあったため大変でしたが周囲は親切な人ばかりでした。
1ヶ月もすると目の周りに痒みが出てきました。外では掻かずにずっと我慢していました。その反動から、帰宅すると両手で目の周りが赤くなってしまうほど擦ってしまいました。
周囲からは「パンダみたい」と言われるようになりました。徐々に全身がカサつき、痒みで眠れなくなりました。
首から胸にかけての炎症が酷く、膝や関節の内側から汁が染み出してきました。肌と服が擦れて動くことすら億劫でした。
顔も荒れ始め、頬や耳、首からも黄色の膿が出始めました。頭皮からも黄色の膿が出てきて、髪の毛がくっついて固まるので、毎日頭を洗っていました。
背中も真っ赤に腫れて、シャワーで熱めのお湯を当てることで痒みを紛らわせました。おかしくなりそうなくらいの痒みでした。
入浴中も全身を掻きまくりました。風呂から出ると、皮膚が突っ張って痛みでうまく体を動かせなくなりました。
それでも仕事を続けられたのは、顔が何とか見られる状態だったからです。どう考えても社会人になりたての頃の症状よりも酷くなっていました。
持ってきた薬を塗って凌いでいましたが、症状は収まらず使い果たしてしまいました。何度も会社を辞めようと思いました。
なぜ自分がこんな目に遭うのか考え続け、追い詰められた気持ちで一杯でした。
地獄の始まり
ついに痒みに耐えられず、顔面をボリボリ搔きむしってしまいました。(とても出社できる顔ではなくなり、会社を休んで病院に行くことにしました)
全身(頭皮と足の裏を除く)が痒くて、特に風呂上りが最悪でした。首から胸にかけて激しい痒みで眠れない夜が続きました。
新聞配達人のアパートの階段の足音が聞こえる頃、うつらうつらできればいい方でした。
その足音に気付いてしまうと「今日も仕事だから眠らなければ」と焦ってしまう日が続きました。
アトピー(ステロイド皮膚症)でこんなに酷い思いをするのは生まれて初めてでした。アトピーで死ぬこともあるのではと思うほどでした。
病院には歩いて向かいました。途中、道行く人が私の顔を見てどう思うだろうかと不安になりました。更に、なぜ自分は普通に生活できないのかと悲しい気持ちで考え続けました。
病院では、ストレスが原因と告げられました。関東の水や空気に合わないから実家に戻れば良くなるとのことでした。
(このときウソだ、と直感しました。周辺の環境は自然が多くて、故郷とよく似ていたからです)
プロトピック
約3ヶ月に渡って通院しました。飲み薬のエパステル錠は効果がありませんでした。
ヒルドイドソフトは風呂上りに塗ると余計に痒みが増して最悪でした。ロコイド軟膏と亜鉛華(10%)単軟膏(ニッコー)は効果がありました。
医師には就職して一人暮らしを始めて薬が効かなくなって困っていると伝えました。
すると、出たばかりの新薬があるので使ってみませんかと言われたので承諾しました。
それがプロトピックでした。当時、動物実験が終わって実際の患者で使ってみる段階の新薬でした。
医師からはデータがあまりとれてないと告げられました。何かあればすぐに使用を止めるよう言われ、注意書きの書面を受け取りました。
ステロイドのような副作用はない、とのことでしたが不安はありました。しかし仕事を休んでの通院であり、何とか顔を戻して仕事に行かねばなません。使わざるを得ませんでした。
プロトピックの効果
結果としてプロトピックはわたしの顔を3日でもとに戻しました。
塗ったその日から黄色の膿が止まり始め、その日の夜は普通に眠ることができたのです。会社でも(見た目が)良くなったと言われるほどでした。
しかし、冷えや食欲が増して一時的に太るなどの体調の変化が起こりました。炎症は収まったものの、全身の肌が色素沈着で黒くなり、カサついていました。
薬を止めるとすぐにまた痒くなり、なかなか良くなりませんでした。表面上は改善されたように見えても、皮膚の内側に痒みが内在していました。「ああ、またくるな」とわかるのです。
良くなっていると感じても、突然虫刺されのような腫物が両足だけにできたりしました。それを押すと痛みを感じて、数日後には膿が溜まっていました。
膿を出して小さくするのですが、両足の膝下だけにできるのが何とも不気味でした。
プロトピックのあまりの効きの良さに驚き、これはどういうことなんだろう? 何かがおかしいと思い始めました。
一瞬、自分の体が変なのか、この薬がおかしいのかわからなくなってしまったのです。
健康食品
勤めたのが健康食品会社だったので、水道水や食品添加物についても知ることになりました。これらが原因かと考えたり、他社のセラミドやサメ肝油エキスなども試しました。
マイナスイオンの水を1日2L飲んだり、酵素(万田酵素:木の実や果実を3年~5年発酵させた健康補助食品)も続けてみました。
するとそばかすが薄くなり、便通も良くなりました。しかし、アトピー(ステロイド皮膚症)には目立った効果はありませんでした。
それでも、これらで6年程かけてアトピーが治った人がいるとのことでした。体に良いいものなので、退職時に4年分購入しました。花粉症にならなかったのはこれらのお蔭だと思ってます。
二つ目の病院
他の病院の治療はどうなのか知りたくなり、病院を変えることにしました。たまたま通勤電車で大きなアレルギーセンターを目にしていたので、そこに決めました。
既に薬を使い切っていたので、市販の「カユミール1」と「メンソレータムAD」で凌いでいました。
新たな病院で治療を始めました。周りからは入院した方がいいのでは、と言われたこともあり医師に意見を求めました。
すると外来で治る範囲とのことでホッとしました。一方、仕事で空調の近くに立つことが多くて肌が乾燥すると伝えたたところ、仕事は辞めた方がいいとも言われました。
医師は丁寧に話を聞いてくれる方でした。治療方法やステロイドの副作用についても説明してくれました。
強い薬から弱い薬へと徐々に変えていけばリバウンドは起こらないので自己判断で薬を止めないよう告げられました。一方で水と酵素は止めるように言われました。
治療内容
症状は全身に広がっていました。プロペトというワセリンとステロイドを混ぜた軟膏と亜鉛華軟膏を塗ってから包帯で巻かれました。
処方されたのは、マイザー、リドメックス、プロトピック:プロペト(1:2)、亜鉛華軟膏、プロペト、オリーブ油、リドメックス:プロペト(1:1)、オイラックス、飲み薬としてジルテック、アレジオンです。
状態が良くなっていくにつれてステロイドを減らしていく治療でした。医師によると、良くなってもいつ再発するかわからないとのことでした。
そのため常に薬を準備しておいて、すぐに使える安心感を持っていることが大切との説明でした。ここで治るかもしれない、と安心したのを覚えています。
その後は定期的に通って、体は徐々に綺麗になっていきました。3か月近く通院すると、前の病院と同じくある程度のところまでは良くなりました。
しかしそれ以上は良くならず、一進一退を繰り返すばかりでした。痒みが皮膚に内在しており、治ることはないと感じました。
「医者がつくるアトピー 患者がつくるアトピー」
薬を使いながらどうにか仕事を続けていた頃、薬が効かなくなったことを心配した知り合いの方が送って下さった本です。
3~4時間かけて読み終えました。本の方々の体験は私事として受け止め、その心情は察するに余りあるものでした。暫く心に留めておくことにしました。
なんとなく薬は真の解決にならないことは感じていました。しかし、薬を手放した後にどうなるか考えると恐怖しかありません。
しかし、「このまま治りそうで治らない中途半端な状態でズルズル生きていくのはダメだ。ちゃんと治ることをしよう」という意思が出てきました。
「体が持っている自然治癒力を発揮させる…云々」に希望を感じたのです。そして体調悪化と治療に専念することを理由に半年で退職しました。
クリニックのある東京に引っ越したのは26の時です。引っ越しまでの数か月間は薬を使いながらアルバイトをしました。
和真クリニック(現在閉院)
2001年6月2日に家族同伴で半日掛かりで面談に臨み、具体的な説明を受けました。そこで幾つかの問いを出されて回答した記憶があります。その一つが⤵です。
…といったものだったと記憶してます。皆さんはどちらでしょうか。ちなみにわたしは正解を選ぶことができ、「頭はまともである」と褒められました。(前者を選ぶと説教(!?)を受ける可能性あり)
他にも薬を止めて、もとの体に戻ることの説明を受けました。とても明るい気持ちで帰宅したことを覚えています。
当時の和真クリニックの施術内容(現在閉院)
- 断薬による薬からの離脱。体の治癒能力でもとの健やかな体を取り戻すため、できる範囲で基本一日3回入浴。このときにウーロン茶を煮だしたものを入れると保温性が高まる。いつまでもポカポカして代謝が良くなり体がより早く生まれ変われる。
- 特別な食べ物や成分によらず、自らの体の治癒能力を最大限に活かして治癒を目指す。極力余計なことをしない。普通に何でも食べてok。一部、整体のような施術、体の使い方、認知行動変容リハビリ療法の施術を行う。不定期に患者同士の親睦会も開催。
- 初めにこれまでのアトピー人生と今後どうなっていきたいかについての作文を提出。基本月1の経過報告。(郵送可)写真、経過表、痒みのチェックリストを提出。郵送の場合は近況報告の手紙等。(写真以外はコピーを自分用に保管)半年から1年に1度は来院。亜鉛華軟膏、ベビーパウダー(クリニックで販売)で症状に対処。自由診療。
ステロイド離脱1年目(2001.6.3~2002.6.2)
- 初日→何も起こらない
- 2日目→目の周り、唇、顔全体が赤くなり発疹が出始める。(薬を使っていた時からの蕁麻疹もそのまま出続ける)
- 3日目→まぶたが腫れて一重になる。蕁麻疹は無し。指紋が復活。この頃から眠れなくなる
- 4日目→首が痒く、顔がパンパンに腫れる(ムーンフェイス)
- 1週間後~→朝晩に発作的に猛烈な痒みが起こり、一睡もできない。口角が割れる。夜の症状が酷く、必ず2回は入浴しなければならないほどの体の変化。不眠状態に耐えかね、(2~3時間うとうとできればいい方)初めて睡眠薬を使う。しかし痒みが酷くて全く効かない。午前12時~3時くらいに両腕が一気に腫れあがって、細かい水泡が沢山でてくる。酷い痒みとあまりの気持ち悪さに鳥肌がたつ。
離脱2週間後
- 顔から黄汁が出て、痒みが常態となる。猛烈な痒みの発作が1日に何度も起こる。(特に夜間)次々に現れる体の変化にショックを受けて2日に1度は泣いている状態。
- 首や顔から黄汁がでて首のリンパ節がボコボコに腫れあがる。布団や部屋に剥けた皮膚が散らばるので、掃除機をかけることが日課となる
- 体の症状が酷くて基本1日3回では足りず、5~6回入浴する。耳の中も腫れて痛みが生じ、聞こえにくくなる
離脱17日~
- 顔、首、胸の皮が剥けて指も酷くなる。全身の炎症が一定のレベルに達する。この状態で痒みの発作を起こしながら変化・反応していく。このサイクルを2~3日ごとに繰り返していく
- 感情面は最悪で、毎日泣きながら生活していた。体が元に戻るための反応であるとの説明を思い出して肯定的にとらえるよう努めた。アトピーにいいとして、知人が送ってくれたシジュウムの入浴剤やお茶を使ってみる
- 皮膚が余りにもボロボロで、まつ毛や眉がほとんど抜けてしまう。凄まじい痒みと延々と流れ出す黄汁に耐えかねて、黄汁を出し切ったら痒みが治まるのではないかと考えた。試しにバリバリ掻いてみる。すると酷い痛みが生じ、傷ついた皮膚から一層黄汁が流れ出して悲惨な状態になる
- 皮膚の状態が悪すぎてお湯につけられないこともあった。入浴後は皮膚が乾燥して突っ張った感じになり、痛くて体を動かせなくなる。怪獣のピグモンのような状態で上半身が固まったままなんとか移動していた
- 夜は眠れないので、痒みの発作の少ない昼間に2~3時間づつ何回かに分けて眠る。掻き始めて皮や汁で汚れてくるので一通り掻いて気が済んだ後、即入浴していた。食事中や食後に痒みの発作が起こり、耐えきれずに他の部屋に行って掻くこともあった
- 顔、首、上胸といった上半身が真っ赤に腫れあがっている状態で何とか生活していた。離脱開始から1ヶ月間はクリニックに週1で通っていた

入浴後は汗や血流により痒みが増します。
そのため季節に関係なく扇風機とベビーパウダーが必需品でした。
1日に何度も入浴するので体力的にきつくなります。
水をいれたペットボトル持参で入浴し、2~3Lは水を飲んでましたね。
離脱1ヶ月後
- リバウンドの凄まじさに自力での生活を断念し、実家に戻る。夏だったので、軟膏を塗ると汗で余計に痒みが増す。全く塗らないと皮膚が固くバリバリになって、痛みで動けなくなる
- 体の変化は続くが、真っ赤だった胸が黒っぽくなり落ち着いてくる。食欲はまぁまぁあるが、夜は全く眠れない。2~3時間うとうとして、昼間に断続的に眠る状態。
- 夜中に必ず1回は入浴し、そのままひたすら体を掻き続ける。朝が来ると掃除機をかけてから、体を引きずって再度入浴するといった生活パターン
離脱1ヶ月と2日~
- 全身の皮膚がガビガビで痛みが酷く、石のようにジッとしてやり過ごす。顔に日照り続きで水が枯れた田の地割れのような溝ができる。そこが割れて黄汁が次々に流れ出して辛くなる。(顔が生き物のように変化する。それを鏡で見てゾッとする)地割れ状態の顔の皮膚は1日経って入浴すると、すぐに湯舟の中で剥け始める。3日かけてこれまでにないくらい綺麗な皮膚が出てくる
- 首のリンパ節の腫れは消えるが、首の皮膚の炎症が酷くて痛みのあまり泣き出す。うなじが瘡蓋で覆われて石のようになる。立ち上がったり、歩く際に首を動かさずに行動していた。
- 首の瘡蓋が何回かに分けて剥けていくと、少しづつ首を動かせるようになり嬉しくなる。剥けてもすぐ瘡蓋になり次第に赤黒い肌となる。それに伴い体も何とか一通り動かせるようになる。
- 耳たぶも硬く縮れて石のようになる。しかし首と顔の変化に伴って、どんどん皮が剥けて柔らかくなる。背中に痒みが出てきて、汗をかくと痛痒くなる。仰向けになると背中の痛みで耐えられなくなる。そのため俯せで2~3時間うとうとしながら眠る日々となる
離脱1ヶ月と2週間~
- 夕方~夜中の2時くらいにかけて痒みの発作が起こるようになる。猛烈な痒みと発疹が出る。2回目の顔のひび割れが前回から12日後に起こる。1回目よりは軽く、ひび割れから黄汁が少し出る程度。一連の生き物のような皮膚の変化は数時間で終わる。(改めて体は生きていると実感)
- その後は赤い線が出ただけでひび割れには至らず、しばらくして消失。これらの短時間の変化は顔面の皮膚の極限状態だった様子。これ以降は顔の皮膚がひび割れて数日かけて皮が剝けていく状態になる
- 顔が固い皮膚でガッチリ固まる。顔を動かすと、皮膚が割れて血や汁が出てくるので食事や会話に苦労した。皮が剥けると柔らかい皮膚が出てくる→また硬くなり剥ける、というサイクルになる
- 背中の症状の変化が凄まじく、痛みが酷くて上背を中心にほとんど瘡蓋になり鎧状態。瘡蓋は2~3日で剥ける。暑さや全身の痒み、背中の痛みで横になれないのが辛い。(背中が酷くて壁に寄りかかれない)腰だけ壁に着けて何とか全身を支えて凌ぐ。背中の痛痒さに耐えられない時は、家族に叩いてもらって凌いだ
- 耳からも黄汁が出て、放っておくと髪の毛がくっついて固まってしまう。剥がすとバリバリと音がして気持ち悪い。それを防ぐために両耳をティッシュで包んでいた
この時期は1回20分、1日5~6回入浴していた。(体の変化が凄い。そのため入らざるを得ない)何度も入浴して疲れてしまう。扇風機の風に当たって一瞬気持ち良くなった瞬間に入眠。入浴中に強い眠気に襲われて意識が飛ぶこともあったが、何とか乗り越えた。
離脱2ヶ月後
- 両腕の肘の内側から黄汁が川のように流れ出て止まらない。眠る時は肘の内側を天井に向けて体の前面に置く形で硬直して仮眠。患部にはティッシュを当て、テープで固定して黄汁に対処した
離脱2ヶ月と2週間~
- 背中の瘡蓋がとれて多少落ち着いてくる。蚊に刺されたような巨大な蕁麻疹が下半身に出現。初めは30分~1時間余りで消える。離脱開始2ヶ月と3週間頃から夜中に発作となって大量に出るようになる。常にどこかを搔いている状態なので爪が伸びない
- 目ヤニも黄色の膿のようなものが沢山出て、目が赤く痒くなる。離脱を始めてから顔の痒みに耐え兼ねて顔をパンパンと常に叩いている状態になる。視力が良くなったり悪くなったりする。飛蚊症も出てきて、白内障や網膜剥離が心配で眼科にいくが異常なし
- 足の付け根からも黄汁が止まらず、全身が炎症を起こしている状態。体温が上がると痒みが増して掻かずにいられなくなる。一度、作って貰ったラーメンを食べたところ痒みが酷くなり、食べることはできなかった
- 耳や首の皮膚がボロボロのため、頭を洗うと皮膚が刺激されて苦しくなる。そのため5~7日に1度、大決心してシャンプーをしていた
離脱3ヶ月後
- ようやく昼寝で5時間眠れる日が出てくる。蕁麻疹が早く消える日もある。その一方で1日中体が痛痒く、ダラダラと蕁麻疹が出続けて昼寝ができない日もある。出方にかなり波がある。朝方や朝食後に出て、消えるまで5~6時間かかる
- 夕方4時頃になると眠くなる。左の肩甲骨の下に痛みの強い部分にがあって、そこに大きな蕁麻疹がたくさん出る
離脱4ヶ月後
- 蕁麻疹の発作がほぼ1日おきとなる。午前12時~3時の間に凄まじい発作が発生し、蕁麻疹が消えるまで6~8時間かかる。(明朝8時~10時くらい迄徹夜)巨大な薬疹が非常に強い痒みと共に体全体に出てくる。(首や顔にも出るが、腕に集中的に出る。そのため腕が蕁麻疹でボコボコ。)
- 発作が治まるまで、痒みを紛らわせるため顔を両手でパンパン叩き続ける。並行して体も書き続けて朝を迎える毎日が数か月続く。蕁麻疹が消えるときは、他の蕁麻疹と融合して更に大きくなる。その後、徐々に皮膚と同化して消失
- 発作の波が終わると、体は掻きすぎてカサカサ、ボロボロになって痛みが酷い。瘡蓋を掃除機で吸引した後、入浴する。お湯がかなり沁みて辛い。隣の部屋の話声やドアの開閉音などの大きな物音が怖くなる。怒りや気持ちの落ち込みといったマイナスの感情が強くなる
- 1~2ヶ月に一度、和真クリニック受診のため新幹線で上京していた。緊張していたせいか蕁麻疹が少なく、出ない時もあった。出るときは、下半身にたくさん出るため常にズボンをはいていた。外に出ると、動くことでどうしてもウエスト部分と布地が擦れて巨大な蕁麻疹が出てくる。そのためウエスト部分をあまり締めないようにしていた
- 離脱開始前は普通に乗っていた電車や新幹線がリバウンド時は座っているだけで疲れる。特に帰りの新幹線は睡眠不足と緊張感の緩みで意識が朦朧となる。(何とか気力で自分を支える)
- 痒みをこらえつつ、(時々掻きながら)コンサートに行ったこともあった。どうにか2時間座っていることができた。精神的にかなり辛く、家に戻った途端、安心からか一気に蕁麻疹の発作を起こす。そのまま徹夜で翌朝を迎える
離脱4ヶ月半~
- 蕁麻疹の発作が数日間連続して起こる。発作のピークが過ぎたところで、寝不足と疲れから座ったまま寝てしまう。横になってうたた寝をしているうちに喉が痛くなるが、入浴のお蔭で数日で治る
- 顔や上胸など頭に近いところに蕁麻疹が出る。酷い痒みと見た目から特に気になってしまう。そのせいで更に眠れなくなる。排水溝の掃除をしたり、虫や浴室内に髪の毛がたくさん落ちているのを見ると鳥肌が立つ。気持ち悪くなったり、不潔恐怖症のような状態になる。(体が良くなるにつれてこうした傾向は消える)
- 蕁麻疹の発作が1日おきになった頃の生活⇒①発作終了後に掃除機をかけて入浴・食事⇒②午後12時から19時, 20時ぐらいまで眠る⇒③夕食(食事は1日2回)
- 発作が終わって最初の入浴後や入眠して目覚めた後の落ち着いた体の状態で1つでも蕁麻疹が出ているとその日の夜も発作が起こる。昼間、体が痛みや痒みでムズムズして辛い時も同様。発作終了後の肌を見ると、夜中の蕁麻疹の発作時の肌がウソのように思えてくる
離脱5ヶ月後
- 傍目には赤みも消えて普通の肌に見えるが、実際は酷い痒みがある。顔が脱皮してカサカサ状態。夜は変わらず蕁麻疹の発作あり。何度も入浴するので、1日に2L以上水を飲んでいた。体重が増えてたまにお腹を壊すようになる
- 蕁麻疹の発作はA.掻いていて発作となる場合、B.顔、首、胸、足、の蕁麻疹の痒みで目覚めて起きて掻いているうちに発作となっていく場合とがある。パターン通り1日置きに蕁麻疹の発作が起こらないこともある
- 蕁麻疹の発作の後、時間をかけて全て消える場合と引き続き小規模な蕁麻疹の波が発生して1日中出続ける場合とがある。左の肩甲骨下部にずっと痛みがある。そこの蕁麻疹が消えた後は一時的に症状が無くなるが、時間と共にまた痛みが出てくる
- 蕁麻疹に対して処方された抗ヒスタミン剤は最盛期の蕁麻疹には効果なし。塗っても掻くことで爪の間に入って、手がヌルヌルになる。結果的にお湯を汚してしまうので使わなくなる。発作がある程度治まり、蕁麻疹の症状が緩和してからは効くようになる
- 入浴時に指が突然腫れて痒くなる。歩いたり掃除や片付けをしただけでも体や手に蕁麻疹が出てくる。右手首に蕁麻疹ができて融合、巨大化して手首が腫れて1cmほど隆起する。蕁麻疹に膿が溜まって安全ピンで刺して抜いたこともあった
- 蕁麻疹を伴う肌の変化を繰り返すたびにどんどん肌の調子が良くなっていく。毎日蕁麻疹の発作が起こる日も出てくる。あまりに苛酷で、手足が痺れたり小刻みに震えたりする。この頃から夕方の4時ぐらいから蕁麻疹がたくさん出始めて発作に至る日も現れる。蕁麻疹のピークへと上り詰めていく段階
離脱5ヶ月半~
- 蕁麻疹が消えるまで5時間となり、発作も若干軽くなる。蕁麻疹は目覚めた後や食後によく出るようになる
- 3~4日間は見た目にも良い皮膚を保てるようになる。しかし痒みが酷く、少し掻いただけですぐボロボロになる
離脱6ヶ月後
- 肌の基礎がしっかりしてきて弾力性が出てくる。相変わらず1日おきに蕁麻疹の発作はあるが、出てくる蕁麻疹は少しづつ減少。上半身中心から手足などの末端中心の発作になる。数日おきに最盛期のような酷い発作や3日連続で発作が起こってかなり疲弊する。しかし蕁麻疹が出るたびに肌は良くなり全身がスッキリする
- 起きた後に首や下半身を中心に1日中蕁麻疹が出ていたり、昼間に蕁麻疹の発作が多くなり消えるまで5~6時間かかる。この頃、発作に至らない蕁麻疹の波が1日に2回、深夜1時や朝方に現れる
- 入浴を続けていると、何度か突然手足がポカポカと温かくなることがあった。大抵は冷え性で、入浴後はすぐに両足の指が紫になってしまうほど。時々、全身に悪寒が走ったかと思うとカーっと熱くなったりする
- 胃が不活発で気持ちが悪く、何を食べてもすぐに下痢をしてしまう。入浴の疲れや睡眠不足から食べないともたないので、食事は摂るよう心掛けていた
- 離脱6ヶ月目の終わり近くに、新幹線で蕁麻疹の発作を起こしながら帰宅。途中、車内であまりの痒みに挫けそうになるが、精神力で乗り切る。これが最後の酷い蕁麻疹の発作で、以降は小規模の発作が増える。体の状態が良くなってくると自然と痛みや蕁麻疹も消えていった。しかし左の肩甲骨の下部は痛みが続き、仰向けで眠ることはできないほど。そこは最後まで蕁麻疹が出続ける
離脱7ヶ月後
- 小規模の蕁麻疹の発作が続く中で強い発作が間に入るパターンとなる。変わらず胸や顔がとても痒く、常に両手で顔をパンパン叩いている状態。夜は2時間ほどしか眠れず、顔の輪郭に沿って巨大な蕁麻疹がボコボコ出てくる。布団に入っても胸や首の痒みで30分ほどで起きてバリバリ掻き始める。
- 蕁麻疹の発作のない日もちらほら出てくる。胸や肘の内側がチクチクして気になり眠れない。朝食後や午後2時頃からの昼間の発作が多くなる。足首に蕁麻疹がボコボコ出て周囲と融合して腫れあがり、5~6時間で治まる
- 顔が脱皮して割と見られるようになる。すると痒みが酷くなって、3日ほどでガサガサになり剥け始める。生まれ変わるべき皮膚に痒みが生じ、その皮膚が死んで剥がれていく。これにより短期間は痒みが減って楽になる
- 気力も出てきて、天気がいいと外に出てみたくなる。視力が良くなったり悪くなったりして不安定。胃の具合が悪くて食欲もないのに1日に7回も下痢をしたり、1週間便秘のときもある
離脱7ヶ月半~(蕁麻疹発生から5か月半)
- 初めて5日間連続で蕁麻疹の発作のない日が訪れる。このように発作のない数日間の後に来る最初の蕁麻疹の発作は規模が大きい。消えるまで12時間かかる
- 眠れると思っても、痒みで2~3時間すると目が覚める。(最低でも1晩に2回は起きてしまう。発作がない日も同じ)体のムズムズした感覚で目覚めてもまた眠れるようになる。しかしそういう日は一日中蕁麻疹が出続ける
離脱8ヶ月半~(蕁麻疹発生から半年)
- 連日蕁麻疹の発作が続き、疲れて発作のピークを過ぎたあたりから意識が無くなり、座ったまま眠ってしまう。右半身だけにやたら蕁麻疹が出たり、背中や脇に汗をかき易くなる。1日に3~5回お腹を壊す
- 神経が高ぶって眠気が来ない日がある。一方で、1日中だるくて気力が湧かず眠くて仕方のない日もある。(落差が激しい)痒みで毎日顔を叩き続けていたため目が心配で眼科に行く。前回の検査から半年経っているため視力の変化や飛蚊症について相談する。結果は異常なし。アレルギー性結膜炎との診断を受けるも、薬は断わり何もしない
- 離脱8ヶ月目の終わり近くになると、発作のない日が多くなる。蕁麻疹が徐々に軽くなってくる。発作の起こる時間帯も朝方4時ぐらいから4時間ほどで治まる。「発作」といった形での蕁麻疹の大きな波は減ってくる。そして小さな蕁麻疹の波として昼間に症状が出るようになる。体全体の腫れている感じも減ってきて楽になってくる。
- 顔の痒みが酷い。赤くなって、ぶつぶつが出て皮膚がボロボロに変化する厳しい状態。痒みを常に両手で顔を叩いくことで紛らわせる。夜は、痒みとこれまでの凄まじい蕁麻疹の発作の記憶により目が冴えて眠れない。食欲がなく、1日に何度もお腹を壊す
離脱9ヶ月後
- 頬骨から縦に皮膚が割れて痛みと出血がある。口の両脇も同様となる。顎、左目尻も割れて傷口が塞がらない。顔が少しでも動くと傷口が開いて出血する
- 痒みや蕁麻疹の出方に波がある。夜中の1時~3時は痒みと蕁麻疹の発作が多いが、朝方に起こる時もある
- 左目の脇に直線上に2cmの裂け目ができる。7日かけて漸く塞がったが、これ以降何回もこの箇所は割れては閉じるを繰り返す。
- 離脱9ヶ月目の終わり頃になると、蕁麻疹が小さくなり、下半身によく出るようになる。数日間、顔が割ときれいな肌を保てるようになる。赤い腫れとブツブツが出ては崩れていくサイクルを繰り返す。全身に異常に汗をかいたり、目が乾燥したりする
離脱10ヶ月後
- 右耳が痒く黄汁が出て、首の後ろ(項)や耳が荒れてくる。顔は数日間綺麗な肌を保てるが、痒みが酷く皮膚がボロボロ剥けて何度も変化する。両手指がとても痒く、指紋部分が腫れ上がって痺れたようになる
- 蕁麻疹の規模は小さくなったが、全身に出る。顔がチクチクして1日中体が反応し、わけもなく時々鳥肌が立つ。相変わらず左の肩甲骨の下部の痛みや肩凝りからくる背中の痛みがある。しかし腫れているような感覚は消える
- 1日1回必ずお腹を壊す。多い時は1日に7回の下痢
離脱10ヶ月半~
- 両耳の後ろと項から黄汁が出始め、痒みが増して上胸もカサカサになる。両耳が腫れてかなりの痛みがあり、全体的に症状が悪化して見た目も酷くなる。
- 耳から黄汁が止まらないので、耳全体をティッシュで包む。夜中になると一層痒みが増すので、耐え切れずに掻いてしまう。黄汁がどんどん流れ出て厳しい状態になる。こうなると、痒みと痛みで落ち着いて枕に頭を載せられない。耳を包んだティッシュが寝返りを打つと外れないか気になり眠れない。
- 眠っても2~3時間程度で、寝ては起きるを繰り返す。かつてのように1日に昼寝を3回もするようになる
- 右の頬骨の辺りが十字に割れて、体のチクチクした感覚で眠れない。この頃から普通の便が出るようになり、便秘が無くなる
離脱開始11ヶ月後
- 蕁麻疹が沢山でる日とそうでもない日がでてきて、蕁麻疹の発作は無くなる。額の左の生え際がとても痒くなって、皮膚がボロボロになる。その部分の髪が抜けて指2本分くらいの面積が禿げる。結膜炎が酷くなったり、バカができたりする
- 背中に痛みがあり、特に左の肩甲骨下部の痛みが強い。仰向けになるとそこが布団に当たって辛いので、眠るときは常に横向き。上胸も痛くて、ちょっとした動作をしても辛い。そのため両腕を胸の前で組んで上胸の皮膚が動かないよう固定して眠る。(常に体に力が入って緊張している状態)
- 耳からの黄汁が止まらず、第二の急性期ともいえるくらいの酷い症状となる。常にティッシュで耳を包んでいる状態。顔や胸の少しの傷からも黄汁が出てきて酷い痒みで眠れない。1週間ほどで耳からの黄汁は断続的になる。顔、首、胸なども日々変化しながらどんどん脱皮する。入浴後の痒みの強弱が激しい
- 全身がガビガビで痛みが酷く、蕁麻疹も出て入浴や動作が辛くなる。耳の付け根の上と下の部分が割れて痛い。そこから黄汁が出ていることに気付かず、いつの間にか髪の毛がくっついて固まる。これをバリバリと剥がすことが度々あった
離脱11ヶ月半~
- 左右の頬骨の辺りが縦に4cmも割れて塞がるのに5日かかる。顔の皮が剥けて痛みを伴って真っ赤になり、蕁麻疹も多少でる。1日に最高で6回お腹を壊す
- この頃は、痒みが酷くて午前中は眠れない日が多くなる。そのため夕方から午後8時ぐらい迄寝るようになる。全体的に症状に山が無くなり一定となる
- 離脱開始から1年近く経った5月上旬に散歩に出る。健康であれば爽やかな風が吹く気持ちの良い日と思われる。しかし、リバウンド状態なので風を感じるだけで痒みが増長される現実。下半身に小さな蕁麻疹が出て、右手首の表面が痒みと共に酷くなる
- 掃除などのありふれた日常の動作で衣服と肌が擦れて顔、首,上胸の痒みが増す。体に痒みや多少の腫れぼったい感覚はあるが、動かずジッとしていられるようになる。気持ち的にも何とか落ち着いていられる感覚が出てくる
離脱1年後
- 以前は入浴前後の2時間は、体を掻いて余計な皮膚を落としたり、気の済むまで体を触ってからでないと入浴できなかった。しかし、この頃から目覚めてすぐに入浴できるようになる。入浴後に痒みが酷くなることもなくなり、剥ける皮膚が細かくなり量も減る
- 耳の皮がドンドン剥ける。特に耳たぶと耳の付け根周りは何度も黄汁が出て皮が剥ける。耳の中も同じ変化が起こるため、綿棒で耳掃除を行う。首が痛痒くて辛いが徐々に入眠しやすくなる。顔と手首の外見が良くなる
- 背中や背骨周辺で症状が特に酷かった部分に、ニキビのような赤いできものが現れる。この痛みも痒みもないできものはしばらくして消えた。また、突然目が痒くなって真っ赤になり目脂がたくさん出る。それらは翌日には治ったが、症状の変化が激しい
まとめ
子供の頃からアトピーで病院に通っていました。初めは大人になれば治ると言われていました。
しかし途中から「アトピーは治らないから、薬で一生コントロールしていきましょう」に変わりました。
お風呂上りに薬を塗って、約二週間ごとに通院していました。肌に何かを塗ることが当たり前という感覚で生きてきました。
一番症状が酷かったのは小学生の頃です。後は社会人になるまで薬を使いながら割と安定した症状を保っていました。
治ることはありませんでした。次第に薬が無くなって症状に耐え切れなくなったら通院するパターンとなりました。
薬の影響と思われる幾つかの変化が出ていました。近視の急速な悪化、汗がかきにくく量も少ない、便秘、真菌症、とびひ、イボなどの症状です。
社会人以降
社会人になって数ヶ月後のことです。初めて顔が真っ赤になり酷い痒みと黄汁が出てきて驚きました。かかりつけの皮膚科は5時までなので他の病院に向かいました。
初めて強いステロイドで抑えて徐々に弱い薬に変えていくと説明を受けました。この治療で症状は消えて普通に働き続けることができました。
数年後、就職で親元を離れて一人暮らしを始めました。すると前回とは比べ物にならない酷い症状が現れました。痒みで夜も眠れず、使っていた薬もあまり効かなくなりました。
近くの皮膚科を探し、そこでプロトピック(当時は新薬)を処方されました。症状は改善されましたが、余りの効きの良さに違和感を感じて別の病院に変えました。
ステロイド離脱開始
当時は病院を転々としながら、薬で症状を抑え、何とか仕事を続けていました。そんな私を心配して知り合いの方が本を送って下さいました。
これがきっかけで知ることとなった医師のもとでステロイド離脱を開始しました。主な症状は上半身の炎症による痒みと黄汁、痛み、蕁麻疹です。
痒みと蕁麻疹は症状に波があり、夜間に発作と呼べるような強い症状が出てきます。落屑が酷く、1日3~6回のウーロン茶風呂の入浴と毎日の(皮膚片)掃除が日課となりました。
症 状 | 内 容 |
炎 症 | 子供の頃は肘や膝の内側、首と手が特に酷かった。 成人してからは環境が変わるなどのストレスがかかると3ヶ月ほどで顔が真っ赤になり、エスカレートしていく。 ステロイド離脱では断薬して2日目にムーンフェイスとなり、炎症が常態化する。時間帯によっては発作となる |
痒 み | 子供の頃は全身、特に肘や膝の内側、首と手指の痒みが常にある状態。 子供の頃は痒みで夜中に目が覚めることもあった。成人後は炎症と共に常にある存在。 脱ステでは顔、首、上胸、背中が凄まじい痒みで耐えるのに必死。 痒みが常態となり時間帯によっては発作となる。 |
黄 汁 | 子供の頃は指と肘と膝の内側から出て、夜寝てるときに掻くと滲んでくる。 なかなか止まらないので、気にして眠れない。 右手の指や耳の下が割れて黄汁が固まって嫌だったので薬を塗っていた。 右手指の症状が一番酷く、出来た水泡を安全ピンで刺してよく中の汁を出して拭き取っていた。 成人後も、炎症、痒みと共にセットで出てくる。 脱ステでは、顔や首、背中、肘の内側、指から流れるほど出てきて止まらない。 拭き取りながら眠ってしまうこともあった。 発作が起こらなくても黄汁だけ出ていることもあった。 症状が酷い時は真っ黄色か、金色のような色をしている。 おかしくなる程の痒みと共に出てくる。症状が良くなるにつれて色が薄くなる。 |
痛 み | 子供の頃は掻きすぎるとヒリヒリして痛みが出る。 冬に右手指が割れて、出血したり曲げられなくなる。かなり辛い状態。 ガーゼや絆創膏を巻いていたので、うまく手が使えなかった。 雑巾がけや、球技でボールを扱うときに血が付いてしまうこともあって気を遣う。 脱ステ時は蕁麻疹の発作で掻いたり、汗や耳の中の炎症、皮を剥いた後に入浴した際にお湯が沁みることで出てくる。 また、全身の皮膚が炎症で突っ張ってガビガビになり、少しでも動くと痛みで辛いので、ゆっくり動作していた |
蕁麻疹 | 学生時代に寒冷蕁麻疹が出た記憶がある。 社会人になって初めて強いステロイドで抑えて顔が安定してきた時に全身に蕁麻疹が出て、飲み薬を使う。 脱ステでは断薬後、2ヶ月半ぐらいから始まり、3ヶ月たつと夜中に発作となって大量に蕁麻疹が出てくる。 脱ステ4ヶ月くらいから本格的な発作となり、夜中12時~3時に起こり、消失まで6~8時間かかる。 脱ステ5ヶ月半過ぎくらいから若干、発作が軽くなって消失まで5時間となる。 脱ステ6ヶ月目からは発作は1日おきになるが、連続して起こることもある。 脱ステ9ヶ月近くには徐々に蕁麻疹も小さくなる。 たまに大きな発作があったり、連続して起こる日もあり苛酷。 脱ステ10ヶ月近くになると、小さくなった蕁麻疹が下半身中心に出る。 蕁麻疹の発作が無くなるのは脱ステ11ヶ月目から。蕁麻疹自体はその後も出続ける。 |
外 見 | 子供時代は全身のカサつきと顔がすぐに赤くなることが悩みだった。 社会人になってから顔に初めて症状が出る。 真っ赤に腫れて黄汁が出て、痒みが酷くて集中できない。 環境の変化(ストレス)が初めに目の周りの肌荒れとして現れる。 そして徐々に全身に炎症が広がっていく。 脱ステでは上半身中心に真っ赤に腫れて皮膚が割れてボロボロと剥ける。 眉毛や睫毛が抜け、首のリンパ節がボコボコに腫れる。 離脱開始5ヶ月後ぐらいから赤味が引き始める。 顔の脱皮の期間が数日おきになってくる。 |
他には①落屑、②不眠、③大きな音、髪の毛や排水溝に恐怖を感じる、④下痢、 ⑤飛蚊症です。
①落屑と⑤飛蚊症は長く続いて症状に波があります。②不眠は症状の軽減と共に消えていき、③と④下痢は一時的なものです。
次回はステロイド離脱2年目(2002.6.3~2003.6.2)です。最初のリバウンドは約3年である程度落ち着くので、記録に基づいてまとめていきます。
「医者がつくるアトピー 患者がなおすアトピー」
福井和彦医師+患者の方々 かんき出版 2000年9月19日第一刷発行
ステロイド離脱の体験談と福井先生のステロイド皮膚症についての見解、目指す健康観について紹介している本です。
ステロイド離脱を始める前に読んでおきたい一冊です。わたしは離脱中、何度も見て心の支えにしていました。
治るには「正しい姿勢」を身に着ける必要があると最初に教えて下さったのが福井先生です。